理解されにくい極端な主張をしてしまう理由

SNSで著名人が極端な主張をして炎上することが度々あります。著名人に限らず普段の生活でも「なぜ」と感じるような言動をする人に会うことはないでしょうか。

本記事では、極端な考えを強く主張してしまう人達の思考について考えていきたいと思います。

なお、本記事の趣旨と異なるため「炎上商法」については取り扱いません。

願望と論理

極端な主張をする人達の思考を考える前に、彼らの思考と関係する「願望」と「論理」の違いを解説します。

願望

願望とは『自分の力のみでは実現することが困難な望み』のことです。

例えば、「明日の天気は晴れになってほしい」は願望にあたります。また、「町で会った綺麗な人と恋人になりたい」というのも願望です。恋人関係になるためには相手の気持ちも必要だからです。

天気と恋愛の話では規模が大きく異なりますがどちらも願望となります。つまり一言に願望といっても程度の差が大きく生じるものなのです。

論理

論理とは『伝えたい事を伝えるための道具』のようなものです。

例えば、目の前にある黒い猫のことを通話で遠くの誰かに伝えるとします。正確に伝えるためには猫の情報を多く伝えなくてはなりません。「猫」「黒い」「毛が短い」「尻尾がふさふさ」など必要な情報が揃っているほど相手は猫の情報を正確に理解できます。

伝えたい事を伝えるためには論理という道具を揃え整理して用いる必要があります。このような事を「論理立てて話す」「論理的に話す」と表現します。

願望と論理のすり替え

願望と論理の意味をご理解いただけたところで、極端な主張をしてしまう人達の思考を考えていきます。

結論を申し上げますと、『願望と論理のすり替え』という認知の歪みが生じています。なお、この表現は私個人のものであり、心理学用語などではありませんのでご注意ください。

願望と論理のすり替えとは、無意識のうちに「こうなってほしい」という願望が「こういうもの」「こうすべき」「こうでないとおかしい」という論理に変わってしまう事です。

例を挙げて、この認知の歪みを考えていきましょう。

ある男女のご夫婦がいます。夫の男性は家事が苦手で「妻に家事を任せたいなぁ」という願望を持っていました。あるとき、この願望が論理にすり替わり「家事は妻がやるもの」という考えに変わってしまいました。そして、妻が家事を休んでいたり自分に対して手伝いを求めてきたとき「なぜお前がやらないだ。家事はお前がやるものだろ」と主張してしまいました。

極端な例でしたがこれが「願望と論理のすり替え」です。なぜこのようなことが起こるのか考えていきたいと思います。

なぜ起こる

原因は大小様々ありますが、共通する大きな理由は「そう考えると自分が楽になれる」からです。私はこれを疑似的に願望を叶えようとする一種の逃避行動だと考えています。

つまり無意識のうちに自分に嘘をついて願望を叶えたように感じているのです。そうすれば自分の抱えている問題は解決され不快感から解消されるからです。

残念ながらこの認知の歪みを無自覚である場合が多いと思います。

その他の理由

願望と論理のすり替えは自分の行動規範を支えるために起こることもあります。

例えば、自分は「こうなりたい」という願望が、自分は「こうでなければならない」という論理に変わることです。これには良い側面と悪い側面があります。

良い側面は、自分の行動に一貫性が生じ何らかの目標を達成するための強い推進力を生み出すことです。「思い込みは力」と誰かに言われたことがありますが、まさに思い込む力で自分を鼓舞し実力を発揮しやすくなります。

悪い側面は、客観的に見て良くない状況にある自分を正当化してしまうことです。

二つの例を挙げて考えていきましょう。

例1:自分を極端に肯定

これまで費やしたモノを失うことが怖くて認められないときに起こります。

本当は違う自分を求めても良いはずなのに、今までの努力が失われる恐怖が逃避行動として認知を歪めてしまいます。自分の行動規範を肯定するために願望を論理に変えて自分を支えているのです。

例2:他者を極端に肯定

非常に他者を思いやる気持ちが強い人に起こりやすい認知の歪みです。相手に自分のことを「好きに」「大切に」想っていて欲しいという願望から生じます。

例えばDVや体罰に近い指導を受けたときに、「自分が至らないから、自分のことを想って相手は怒ってくれている」というように受け止めることです。

これは「自分は相手にとって大切な存在でいたい」という願望が「自分は相手にとって大切な存在である」という論理にすり替わっています。

残念ながらDVや体罰はこうした認知の歪みに付け込みエスカレートしていき、やがて加害者側の認知も歪めてしまいます。

極端な主張をする人との向き合い方

願望が論理にすり替わっていると表現してきましたが、その論理を支えているものは個人の価値観や信念です。つまり、価値観や信念がすり替わった論理の根拠となっているのです。

他者が理解できなくても、この論理を用いる人にとっては根拠がある筋の通った論理に感じられているのです。

また、価値観や信念を明確に自覚できるとは限らないことがさらに理解しあうことを難しくしています。

この価値観や信念とは内心の自由に等しく他者が否定することは不可能に近いものです。心の奥底で思っていることを変えることは難しいですよね。

願望は個人の価値観や信念に基づいて生じます。価値観や信念の否定と願望の否定が不可能に近いように、願望がすり替わった論理を否定することも不可能に近いものです。

議論は平行線をたどり永遠に交わることはないと思います。不毛な議論を続ける必要はありません。実害が生じる場合を除き、「そういう考え方の人もいる」と冷静に受け止めてあげましょう。

もし、認知の歪んでしまった人が自分にとって大切な人ならば、この記事に書いた内容を一緒に考えてみましょう。

その人の論理を否定してはいけません。まずは互いに理解し合いたいという気持ちをもって接してあげてください。そうすれば少しずつ変わっていってくれるかもしれません。

自分に起こってしまったら

この願望と論理のすり替えは誰にでも起こることです。本記事の画像にあるとおり「感想」を論理にすり替えて話してしまう事は日常茶飯事です。私自身もあります。

まずは過度に恐れない事です。感想に基づいたコミュニケーションを否定することは人間生活の多くを否定することになります。そんなことがあって良いはずがありません。

「それって貴方の感想ですよね」と言われたら、そういうこともあると冷静に受け止めましょう。誰にだってあることで恥ずかしい事ではありません。

勿論、ビジネスなど他者が関わる場面では可能な限り他者と共有できる論理が必要となります。

出来るだけ他者の視点を取り入れる努力をすると良いと思います。積極的に助言を求めたり、自分の考えと他者の考えの違いを常に整理して意識できる気持ちが持つことです。

常に自分とは違う考え方がある、そのことを忘れない事です。

そして、大切なのは自分と他者の考えの違いが「自分の否定」とはならないことです。

ただ違うだけ、それだけのことです。

総括

いかがだったでしょうか。今回はSNSで著名人が極端な主張をしてしまう理由となる認知の歪みを考察しました。一般の方達にも当てはまりやすい内容になったと思います。

極端な主張が注目を集め、炎上することはもはや日常茶飯事となっています。そういった時代だからこそ私たちは互いのことを想像する力をもっと養う必要があるのではないでしょうか。

違うことを恐れない、互いに寛容となることが「多様性」だと私は思います。

当サイトは「ゲームデザイン思考」を中心とした情報発信をしていますが、社会問題などの情報も取り扱っていきます。興味がある人はまた当サイトに遊びにきてください。

あとがき

最後までお読みいただきありがとうございました。この記事の内容は筆者個人の考察に基づいたものです。

ご意見ご感想がありましたらページ下部のコメント欄に是非お書きください。また本記事について各SNSで「#ゲームデザイン思考」をつけて投稿いただけると幸いです。

応援メッセージや記事にしてほしいテーマの要望はこちらからお願いします。

最新情報をチェックしよう!